足利の織物、繊維の歴史を学ぼう

足利の織物産業

足利の織物産業の沿革

奈良時代-平安時代-鎌倉時代

 足利の織物は歴史が古く、奈良時代(710-784年)の初めに足利地方から「ふとぎぬ」を献進したというのに始まり、奈良の大仏開眼の時には東大寺の御領地として織物が送られています。それは平安時代(794-1185頃/1192年)に入ってもなお続き(正倉院の文書中に明記されている)、また鎌倉時代(1185頃/1192-1333年)の『徒然草』に「さて年毎に給はる足利の染物(足利の織物)」とあるのはあまりにも有名です。

江戸時代

 江戸時代(1603-1868年)に入って貨幣経済が発達すると足利織物は、綿の糸で織られるものが多く、「木綿縮」や「足利小倉」、「足利結城」などは大変な人気で、足利とまわりの村々で作られる織物は「足利織」とか「足利織物」と呼ばれ、今までの貴族愛用の手から離れて、一般大衆に愛用され全国に知られていました。

明治時代-大正時代

 明治時代(1868-1912年)になっても足利ではこのような綿の織物の生産は続けられましたが、明治20年前後のひどい不景気の時代に絹織物に力を入れていきました。それまで細々とあった絹織物の生産方法の改良、力織機の導入等をし、それによってアメリカやヨーロッパの国々の市場開拓に努め、直接輸出体制を確立し、輸出を拡大していきました。その背景には、織物の近代化として明治18年の織物講習所(後に栃木県工業学校、現足利工業高校)の設置、物流の近代化では同21年の両毛鉄道の敷設、そして経済基盤の確立として同28年の足利銀行の創設があります。

昭和-平成

 昭和(1926年-)にはいり、足利織物は伝統的傾向として主力は常に内地物に注がれ、手頃な価格の絹織物「解し織」等でした。また、その中でも素晴らしいデザインの「足利銘仙」の生産額は逐年増加し、昭和6・7年以後斬新な模様銘仙が飛躍的な発展を遂げ、ついに昭和8・9年頃には銘仙の中では人気を独占したといわれます。
 戦後(1945年-)、物不足の時代に銘仙の人気が一時戻りますが、本格的な洋装の時代となり次第に衰退していきます。昭和30年代から新興繊維産業として経メリヤスの発展もみて足利市の基幹産業としてトリコットの隆盛がありました。今、足利の人々は、「解し織」(栃木県指定伝統工芸品)やおどり用の着物に使う織物づくりによって、また、編メリヤス・横メリヤス・ニット製品等の生産や染色等総合産地として、その伝統と技術を引き継ぎ、新たな機業地として発展しております。

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